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    江戸幕府の方が日本政府よりも格段に優れていたような気がしてきたんですが……

    • 2012.03.13 Tuesday
    • 11:25
     以前のこと、今の日本政府は江戸幕府の老中会議と同じだと揶揄する記事を書いたけれども、これは大きな誤りだったのではないかと思い、深く反省しているところである。どの視点からどうみても、あきらかに江戸幕府の幕閣や幕臣の方が優秀で、かつ年次改革要望書など他国の意思が巧妙に入り込まない分、日本の国益のことをも十分に考慮することができたはずであり、植民地か属国か独立かというとても難しい局面を切り盛りした江戸幕府はやはりとんでもなく優秀な組織だったに違いない。



     最初にお断りしておくが、今日のブログでは人口や人口比率などの数値を使っているが、これらは他に詳細な調査をした記録もあるかも知れず、あくまで現時点で個人的に妄想しているだけの数字でなんの根拠もないのでご了承をいただきたい。敢えてこういう断りをいれたのは、鬼の首を探しまわっている方々がインターネッツの世界を徘徊しているので用心するに越した事はないと考えたからである。このブログの多くの読者の方には無関係のお断りを冒頭差し挟ませていただいたことをお詫びします。


     さて、江戸時代における全国の人口は、265年間という期間が長いこと、統計をした方々の根拠とした資料が異なることなどにより、明確ではないのだけれども、おおむね2000万人から3000万人といったところだろう。このうち武士という職業についていた人達はその家族なども含めて1割弱とされているようである。もちろん、これも参考資料や統計の方法などによって変動が出ることは言うまでもない。


     それから、中学校の頃から差別の温床のように教わってきた俗にいう士農工商は、身分制というより職業分類に近いのではないかと最近では妄想している。なぜなら、武士から町人に職業を変えることも出来たし、坂本龍馬を生んだ坂本家のようにその逆もまた可能だったからである。新撰組の近藤勇ですら農民の三男坊として出生して、後に帯刀するようになっている。身分による差別というのももちろん皆無ではないだろうが、むしろ職業による区別という感じを受けるのである。実は意外に流動性のある社会だったのではないだろうかと妄想の限りを尽くしているところである。


     その全人口3000万人の日本人の中で武士という職業を持つ者、その家族などは300万人ほど。これにはもちろん家族が含まれるだろうからざっくり家族をさっぴいて50万人くらいが武士という職業を持つ男達だったかも知れない。その50万人ちょっとの武士の中で、幕末の大きな変化を感じていた武士達はどれくらいいただろうと考えると、やはりこれもあまり多くはないのではないかと感じている。変化は常に静かに静かに原子力潜水艦のように潜航していくのである。


     維新を強力に進めてきた薩摩藩や長州藩、その長州藩と戦火を交えた挙げ句、自領をぶんどられた小倉藩、勤王党を生み出した土佐藩や福岡藩などの西国諸藩は時代の潮流が変化しつつあることに気づく人達も多かったかも知れないが、東国の諸藩は比較的目立った動きを取っていないようにも感じる。このように考えると、江戸幕府が舞台を降り、日本の舵取りの実権を薩長が握るという大きな構造改革の変化を体感していた人は全人口からみてもごくごく少数だったに違いない。きっと多くの庶民にとっては、ある日突然に徳川幕府の統治が終わったということを聞かされたかも知れない。


     日本のように市民革命という概念がない国では、変化は庶民の知らないところで静かに進み、変容が完了して固く治まったところで、「変わった」という知らせがもたらされる。現代ではどんな変化が、私達の知らないところで進んでいるのか……。それはグッドニュースか、バッドニュースか。どちらにせよ、言えることは「治にいて乱を忘れず」という心構えと気構えである。


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    • 11:25
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      コメント
      江戸幕府は当時としては大変に合理的な政権であったと考えます。それでも250年続くとほころびが生じてしまうと言うことでしょうか、
      • koizumi
      • 2013/07/14 4:05 PM
      koizumiさま

      コメントいただき、ありがとうございます。しばらくバタバタとしておりまして、コメントに気づくのが遅れました。さて、おっしゃる通り、徳川250年の治世では組織崩壊も当然に発生していたとは思いますが、それでも、私は、江戸幕府の自浄作用も素晴らしいものがあったのではないかと現時点では考えています。明治維新後の薩長史観では、江戸幕府は無知蒙昧であったとする説ではありますが、いろいろな史料を読んでいきますと、果たして本当にそうだったのだろうか……と思わざるをえないというのが、正直なところです。

      やはり、日本を英米傘下に組み込み、資本主義を伸長させようとする外圧が、薩長を後押しして、現在に続いているのかもしれません。反対に、江戸幕府の自浄作用がさらに加速化していて、戊辰戦争などに間に合っていれば、フランス系との結びつきが強まっていたでしょうから、今の歴史とはまた違ったことになっているかもしれませんね。あくまで個人的な意見ではあります。
      • ikawa
      • 2013/07/24 3:34 PM
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