スポンサーサイト

  • 2017.02.07 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
         
  • 0
    • -
    • -
    • -
    • -

    いわゆる『従軍慰安婦問題』が崩壊した

    • 2014.08.09 Saturday
    • 10:03

     いわゆる『従軍慰安婦問題』について朝日新聞が、30数年前の記事の誤報を認めた。今回、朝日新聞が間違いを認めたのは次ぎの3点だ。


     1)慰安婦を強制連行したとする吉田清治証言を虚偽と判断して、記事を取り消したこと。

     2)女性を戦時動員した女子勤労挺身隊と慰安婦を同一視した記事の誤りを認めたこと。

     3)朝鮮や台湾では「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つからなかった」と認めたこと。

     
     これまで『従軍慰安婦問題』の根拠となっていたのは朝日新聞の記事だったのだが、その当該記事がデタラメだったと朝日新聞自身が認めたわけなので、このいわゆる『従軍慰安婦問題』は崩壊した。


     一時期、安倍政権は、「河野談話を見直さない」としており、この点については私も「なぜだろう」と理解できなかったのだが、結果として満を持して……というアプローチなのかも知れないなと今回は感じた。拙速せずに万全を期して河野談話を撤回して、安部談話にまで持っていく。これは万に一つの失敗も許されないため、しっかりと地歩を固めて詰め将棋のように詰めていく作業である。改めて、安部政権を支える参謀たちの頭の良さを痛感した。


     できれば、こうした経緯を英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ポルトガル語、中国語、朝鮮語で広報していただきたい。手に取りやすく読みやすいリーフレット、漫画などを使って子供でも理解できる内容にしたもの、学校教育者向けのものなど多重多層なアプローチで、誤りの認識を周知徹底していただきたいものだ。


     この問題は根元から崩壊したけれども、この誤情報が韓国のディスカウントジャパン運動などの組織的反日プロパガンダによって世界で独り歩きしているので、この火消しの活動は今後も力強く継続していく必要がある。安倍政権の今後に期待する。
    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    ユニクロ柳内会長が目論む中産階級の没落作戦の全貌が明らかに

    • 2013.05.15 Wednesday
    • 11:09
     ユニクロが「世界同一賃金」導入して、優秀な人材確保狙うという。一見すると、多くの人は諸手を挙げて大賛成という風潮があるかもしれないが、これと同様なシステムが日本の多くの企業で導入されると、さらに加速化するのが、中産階級の没落である。グローバル企業であるユニクロのような企業は日本の中産階級が没落し、国力が低下しようが痛くも痒くもないだろうが、多くの日本人にとって、とりわけ中産階級に属している人、かつて属していた人にとって切実な問題である。それは単に一個人の問題というだけでなく、この日本の滅亡という意味においてである。


     この中産階級の没落については、過去記事「日本人の後、日本に住む民族の教科書の記述」でもご紹介しておいたのでお読みいただければ幸いである。なんでもかんでも米国のマネをして、拝金主義に突き進むことで、実は日本が失ったものは大きいのではないだろうかと思うのは、私だけではないだろう。


     ユニクロの柳井会長は23日付の朝日新聞の記事中で「将来は年収1億円か100万円に分かれて、中間層は減っていく」と名言している。つまり、年収1億円のひとにぎりの成金貴族と年収100万円のその他大勢の庶民に分かれるというわけである。


     こうなれば、まさに暗黒の中世の再現である。あるいは、日本統治以前の朝鮮半島といってもいいかもしれない。ローマの中産階級が没落し、パンとサーカスで骨抜きにされ、一握りの金持ちは国の政治を省みないようになり、国力は低下して周辺の諸部族の侵入から国を守れなくなりローマは亡んだのである。その後、一部を除いてローマの文化、技術、知識は失われ、力のある者や金のある者が支配者となって、長い中世が始まったのである。


     金を持った人間や組織が次にやることは富の固定化である。庶民から自由は奪われ、為政者に生殺与奪が握られ、富めるものは益々富み、持たざるものは益々貧窮にあえぐという時代に突入する。これにブレーキをかけるのが、本来の政治の役割である。とりわけ、民主政治を表向き標榜しているならなおさらである。大商人の本能として金もうけに走るのは仕方のないことだし、彼らに国家や国民のことを考えろといっても土台無理な話なのだ。やはり、政治家や優秀な官僚が、デメリットや悪影響を度外視して利益中心に突っ走る大商人たちの手綱を握っておかないといけない。昭和維新の歌を持ち出すまでもなく、太古の昔から大商人には社稷を思う心などないのである。


     権門、上に傲れども
     国を憂うる誠なし
     財閥、富を誇れども
     社稷を思う心なし


     安倍政権は「日本を取り戻す」というスローガンを謳っている。そのためには、中産階級のテコ入れである。国民の多くが「一億総中流」といわれた時代はこの中産階級が力を持っていた時代だったのである。せめてその時のレベルくらいまでには日本人の中産階級を増やしていく。そして、猪武者のように突っ走る大商人たちの手綱をしっかり握っておき、しっかりと牽制する。また、小学校からしっかりと愛国心も合わせ持つことができるようなバランスの取れた教育を施す。さらには、各議員に立候補する者、国家公務員になる者には、グランゼコルのような国立超エリート養成機関の卒業を義務づけることが急がれる。


     そして、このグランゼコルでは韓国籍や中国籍、あるいは日本国籍を持たない教授を排することも忘れてはならない。誰のためのエリート教育か分からなくなることは明白だからである。私が中国の為政者だとしたら、日本に超エリート養成機関ができたら、そこの学生や教授陣に多くの工作員を送り込む算段をつけるに違いない。そして、そこで学ぶことで親中国派の政治家や官僚を養成できるような寄生虫作戦を実行するだろう。私レベルでも想像がつくということは、中国政府や韓国政府はやるということだろうから、これへの布石も打っておく必要があるのである。


     自民党は世論の支持があれば基本的には動く党だと思っている。民主党や社民党と違い、お隣の国々のために政治を行っている党とは違うだろうというのが個人的な観方である。ぜひ、安倍政権には「中産階級を取り戻す」政策に着手していただきたいと思う。でないと、この国は大商人に食い尽くされてしまう可能性がある。私はそれを怖れている。

     
     かつて記事で書いた「日本人の後、日本に住む民族の教科書の記述」について、再掲しておこう。


    <かつて、この地域には、二千年続いた日本という国家が存在した。万世一系の皇室とともに、日本人は多くの政治形態、価値、文化、人材を輩出した。かつてジパングという名称で西洋社会で伝説化されていた日本は、アジアで初めて西洋社会と戦争を行った国である。またタイと同じく唯一西洋の植民地支配を受けなかった国でもある。


    国際社会の一員となってからは列強国の一員となったが、アメリカとの戦争で、原子爆弾や大都市への無差別爆撃などを受け国土は灰燼と化して壊滅。敗戦後、驚異的な回復復興を遂げ、世界経済の中心地となるまで繁栄を極めた。しかし、政治経済の爛熟期を迎えるとともに人心は荒廃、度重なる私利的な構造改革によって富裕層と貧困層の格差が大きく乖離して固定化、中産階級が次々と没落した。追い打ちをかけるように、大地震や津波に見舞われ、原子力発電所からの放射性物質飛散、食品の放射性物質汚染、それに対する対応の不手際から国内的な信用はもちろん、国際的な信用も失った。


    国内外に大きな問題を抱え、それに対応できず、国力が大きく低下する中で、政治経済界へ供給する人材不足も深刻化し、政治はますます腐敗し混迷を極めるようになり、それに伴って国際外交でも他国の後塵を拝するようになった。国家としての独立維持が危ぶまれるに至っても、指導層の改革は私利的なものに終止し、民心はますます離反していった。


    一部、有能な政治家や官僚によって腐敗硬直した社会の刷新が図られはしたが、大勢を覆すには至らず、国債暴落による財政破綻、国民生活水準の低下、戦費不足や国民の戦意喪失による防衛力低下、国家運営中枢機関での人材欠乏、ニヒリズムの蔓延などにより、日本は国家としての独立を維持できなくなった。その結果、日本国政府は、A国の属州統治領となることを承諾し、二千年続いた国家としての日本は滅亡した。


    その後、A国との二国間協議により、日本州はA国から我が国へと移譲され、我が国の領土となった。現在、かつて日本人と呼ばれていた民族は、我が民族との間で混血が進んでおり、一般社会で目にすることはないが、沖縄や北海道に存在する日本人居留地では、かつての日本人が少数ながら生活している様子を見ることができる。なお、この少数の日本人に対しては、日本人保護法に基づいて、政府により保護政策が採られている。


    現在、日本人が残した文化について見直しを行おうという日本ルネサンス運動が起こっており、失われた日本独自の文字の解明、文学の再発掘、精神性や価値の再発見などが政府によって進められている>
    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    2013年の謹賀新年

    • 2013.01.04 Friday
    • 15:16
     新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。さて、国内問題、国外問題と難問山積の2012年でしたが、引き続き2013年も難問山積の年であることには違いがないだろうと思います。こういう時期だからこそ、しっかりと未来を見据えておくことも必要でしょうから、政財界、官僚、大企業の幹部の方々には腰を据えて中長期的展望を持って舵取りをお願いしたいものだと思っています。


     ユリウス・カエサルはこんな言葉を遺しています。


     人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。

     
     みなさまは、今年、どんな現実をご覧になるでしょうか。みなさまが見て、聞いて、感じる世界は、ひょっとするとみなさま自身が見たい、聞きたい、感じたいと思った世界なのかもしれません。ともあれ、まずは新年のご挨拶ということで、本年も本ブログ、よろしくお願いいたします。
    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    ベネツィア終焉時の状況が日本の今に酷似していることについて

    • 2012.12.28 Friday
    • 11:49
     はやいものであっという間に師走も押し迫って、大晦日まであと僅かといったところ。ひさしぶりに「なかのひと」を観てみたところ、さまざまな会社や組織の中の人が、このマイナーブログを見に来てくださっているようであらためてありがたい気持ちでいっぱいである。今年もさまざまなことがあったけれども、たぶん年内最後になるだろう今日は、ベネツィアの終焉でしめたい。


     


     今では世界屈指の観光都市として知られるベネツィアは10世紀から14世紀にかけてが全盛期であった。日本の歴史に照らしてみると、平安時代の菅原道真が生きていた頃あたりから鎌倉時代末期・室町時代初期あたりがその全盛期に当たる。ベネツィアは経済活動を優先したため、中世キリスト教国で流行したような異端審問や魔女狩りとも無縁だったし、現在の複式簿記を使い始めたりと当時の中世国家としては異色の存在である。有言実行、謹厳実直でありながら、さなざまな謀略暗殺も辞さず、情報の重要性に早くから着目して各国に大使や情報提供者を常駐させるなどして、大国間を渡り歩いて千年の繁栄を築いた。今のイタリア人からは想像もできないしたたかさである。


     ベネツィアの栄華に翳りが見えはじめるのは、トルコ人によるオスマン帝国の覇権が少しずつ地中海に及ぶようになってからである。領土という「面」で覇権を進めるオスマン帝国に対して、港湾都市などの「点」を押さえて、制海権を維持しようとしたベネツィアは、善戦しつつもゆっくりとオスマン帝国に地中海の拠点を奪われていき、次第に体力が奪われていく。さらには、これまで地中海を経由していた貿易航路が、新しく他国によって開発された新航路に取って替わられるなどして、交易で飯を食べていたベネツィアの国力は、この面でも少しずつ衰退していくことになった。


     最盛期には外交手腕を駆使して、ある時にはオスマンと戦端を開き、ある時にはオスマンと和平に持ち込み、ある時には敵の敵は友とばかりに同盟を組むなどして、時勢を冷静に見つめて分析し国家の舵取りを行っていたベネツィアだったけれども、18世紀末には政治を担当していた指導者層である元老院なども動脈硬化を起こし、100年ほどの平和が続いていたことで、陸軍という組織は皆無という状態だったようである。


     そんな時にフランス革命が発生する。当初、無政府状態となったフランス国内では、怒りのはけ口を当然に国外に向けることで事態収拾が図られるだろうと危惧したフランス駐在ベネツィア大使は、元老院に対して「他国はフランス革命の余波に対抗して自国を守るべく自軍を強化し、同盟などを結んでいる。非武装中立という祖法を後生大事に守っていてはベネツィアの将来は危うい。この非武装中立政策を見直す時は今だ」と力説した。しかし、元老院は「武装するには金がかかるし……」という理由でこの大使の提案はなかったことにされる。


     その後、何度も現地の情報を見聞した大使などから「このままではベネツィアは危ない。同盟はなくとも再軍備だけはするべきである」と提案がなされるけれども、元老院は「フランスを刺激してはいけない。我が国は非武装中立が国策である」と譲らない。


     事態は刻々と変化する中、遂にあのナポレオン・ボナパルトがフランス軍イタリア方面司令官として赴任してくる。破竹の勢いで快進撃を続けるナポレオン軍がベネツィア領の寸前にまで迫ってくる。ナポレオンはその配下の兵士たちに「聞け、兵士たちよ。目の前にあるのが豊かなイタリアだ。さあ、これを征服できるか、勝つことができるか、勝利はお前たちにないものを与えてくれるだろう」と演説をぶちあげモチベーションアップ、さらには現地駐在ベネツィア高官に「ベネツィアがフランス軍の要求を聞き入れないなら武力で手に入れるだけだ」と恫喝する。


     しかし、この時ですら、ベネツィア政府は「本土担当総司令官」をナポレオン軍の面前に派遣しただけである。それも、司令官とは名ばかりで兵隊もいない総司令官という役職だけ派遣して事態を解決した気になっていたのである。フランス軍、それに対抗するオーストリア軍の狭間に立って軍事力を持たないベネツィアは双方に「ベネツィアは中立国だから」と声高に叫ぶけれども、戦時に言葉は武力の前に力を失う。


     フランス軍は、ベネツィア政府に断りをいれることなく、ベネツィア領ブレシアに駐屯。それに抗議したベネツィア政府高官に対してナポレオンは「なんだよ、この抗議は。これはベネツィアのフランスに対する敵愾心の現れだろうが。もういい、復讐してやる! ベネツィアを破壊し尽くしてやるからな!」と激怒する。さらには「お前たちベネツィアはフランスとは友好友好と言っているが行動は全然友好じゃないじゃないか。お前たちがフランスと仲良くしたいならオーストリアに宣戦布告しろ。もうお前たちは信用できない。実はフランス本国にベネツィアへの宣戦布告の打診をしているのだが、今はその回答待ちをしているところだ。首を洗って待ってろ」とまでいわれてしまう。


     これに対してベネツィア高官は「国際法に基づいて真摯に対応することを求める」とやりあうが、もともとベネツィアを潰すつもりでやる気満々なナポレオンには話し合いなど通じない。ここに至って非武装中立は、所詮はお互いに遵法精神のある国家間同士でしか機能しないことに元老院は気づくが、それでもまだ非武装中立の夢を捨てきれずにいたのである。手をこまねいて無為無策を続ける元老院の耳に、ベネツィア領の中でも最重要都市であったベローナがナポレオン軍の軍門に降ったとの情報が飛び込んでくる。


     ここでやっと事の重大性に気づいた元老院は、自衛目的に限定した軍隊として自衛隊を組織する。といっても、再軍備賛成が119票、再軍備反対が77票なので、こんな状態になっても再軍備反対派が77票もあったのかと思うと愕然としてしまう。まるでどこかの国を見ているようである。


     ともあれ、なんとか再軍備の準備を整えて戦費、兵隊も集めるには集めたが、ここで大きな問題が起こってしまう。なんと部隊を率いる指揮官クラスがまったくいないという大問題である。百年の平和によって、ベネツィアは軍を指揮する最高クラスの司令官、部隊長クラスの中級指揮官、最小単位の小隊長などの幹部クラスの人材育成をまったくしていなかったのである。つまり、指揮官がいない兵隊などは烏合の衆であり、これで戦争の天才であるナポレオンを撃退しようというのだから、かつての現実主義ベネツィア元老院はどこに消えたのかという想いを感じざるをえない。


     ベネツィア政府が重い腰をあげて再軍備を始めたことを伝え聞いたナポレオンは、ベネツィア高官を呼びつけて尋問を加える。「ベネツィア国内での自衛隊の再軍備はあれか? フランス軍に対抗するための再軍備だろう? もしベネツィアがフランスとの友好を唱えるなら、48時間以内に武装解除せよ。でなければ、フランスはベネツィアに宣戦布告する」と警告を突きつける。


     急ぎ本国に戻った高官から事態を聞いた元老院は、「軍事組織は自衛のためということをあらためてナポレオンに説明して話し合いをすること。フランス兵はベネツィア人の心の友であることを政府から布告すること」で事態の解決を図ろうとする。もうここに至っては開いた口が塞がらない。軍事力を持たないということはこういうことであるという良い見本である。


     その後、オーストリア、イギリス、スペインの三国による対フランス同盟への参加要請に元老院は「ベネツィアは非武装中立が祖法である」として参加を拒否。さらにはフランス政府側からもフランス・ベネツィア同盟を締結しようと打診を受けるが、こちらも「我が国は非武装中立である」として拒否。ナポレオンが文句をつけた再軍備に関しても「純然たる自衛のための組織だから、話せば分かってくれる」と心の中で決めてしまったわけである。


     しかし、ナポレオンは「ベネツィア人の敵であったオスマン帝国などはもう斜陽国家ではないか。お前たちの国境を脅かす脅威などは存在していない。なのになぜ再軍備なのだ。お前たちの妄想が再軍備を助長しているのだ。もし、わが軍とベネツィアとの間に戦端が開かれるのなら、それは私が悪いのではない。ベネツィア政府が悪いのだ。どのみち、フランス軍はベネツィア政府の圧政から人民を解放してくれた解放軍として後世に渡って感謝されるだろうぜ」と挑発する。


     この挑発文はベネツィア元老院でも読み上げられたが、「ここに至っては万事休すであるからナポレオンに屈服しようではないか」という議員たちが156人。反対に「国破れて山河ありじゃねえか。まだ負けたわけでない。千年の歴史をここで消すのか? 徹底抗戦しよう!」という議員たちが42票という状態になった。


     さて、その後、ナポレオンから正式に最後通牒がベネツィア政府に発される。いつナポレオン軍がやってくるか、囚われて殺されるか、奴隷にされるかという恐怖でいっぱいの貴族たちは、フランス軍に無抵抗で降伏することを決定する。聖マルコ広場に集まった千年の都市国家の民たちは、自分たちの国が消滅したことをこの時に知ったのである。


     話し合いで物事が解決するのは、双方ともに法を守る者同士である場合に限られる。戦時には多くの場合、法は無視されるわけであるから、相手が法を遵守しない場合の措置をリスク管理としてとっておくべきであった。安倍総理の国防軍計画を右翼的だとか、右傾化だとか、さらには「軍隊ってこわーい」と嘆いている女子たちも多いだろうが、国防のための戦力を持たないということは、結局、こういうことなのである。なぜなら、人間の脳はこの頃から進化していないからである。やる気満々の中国政府と日本との関係に当てはめてみたとき、みなさんはどんな教訓をこのベネツィア終焉から学ぶことができるだろう。


     愛すべきベネツィアは、その後フランス、オーストリアなどに併合され、最終的には統一イタリアに編入されて、観光都市としてその亡骸を現代に残している。いま、私たちが見ることができるのは、血が通っていた往時のベネツィア共和国の「抜け殻」なのである。


     ということで、今年もありがとうございました。また、来年もよろしくお願いいたします。


      にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    自衛隊を国防軍にという意見に個人的に賛成する理由

    • 2012.12.19 Wednesday
    • 11:24
     今回の選挙では自由民主党が圧勝した。大方の予想通りといったところだが、あまりにも民主党のこの三年間の政治が「様のない」状況だったので、批判票として自民党に投票した結果なのだろうと思っている。個人的には贔屓の党などはないので、一般市民感覚で政策を是々非々として捉えているけれども、自民党がこれから何をしようとしているかは注視しておく必要があるだろうと思う。


     さて、来るべき安倍政権の隠し球は憲法改正だろう。といっても今回は隠しているわけではないから隠し球ではないだろうけれども、今回多くの国民に期待されている経済と雇用問題以外では、国防も関心の高い分野であり、「やられっぱなし」の六十七年間から、普通の国として脱皮できる機会でもあるだろうと思っている。もちろん、政治はいろいろな考え方や立場の方がいらっしゃるので、そこは尊重しつつも、個人的には国防のための軍事力は「令外官(りょうげのかん)」とせずに、きちんと憲法に明文化するべきだと考えている。


     さて、この令外官とは、古代日本の法律であった「律令」の「外」にある官職という意味で、wikipediaでは、「律令の令制に規定のない新設の官職」とされている。その意図するところは、「現実的な政治課題に対して、既存の律令制・官制にとらわれず、柔軟かつ即応的な対応を行うために置かれた」にある。つまりは、法整備をせずに官職を置くという離れ業である。唐で発明されたシステムのようなのでアジア文化の発露といえるかもしれないが、国内の有名なところでは、「勘解由使(かげゆし)」や「検非違使(けびいし)」などがある。


     果ては、誰でも知っている「摂政」や「関白」という役職もこの律令の外にある令外官である。律令を変えるのは大変なことなので、令外官として関白や摂政を設置したのだろうけれども、この摂政関白という官職をうまく活用したのが寄生虫藤原摂関家である。彼ら一族が日本を専横できたのも、律令によらない令外官システムがあったればこそなのである。


     やはり、法治国家の道を選択したのなら、令外官は設置するべきではない。すべての官職は法の下に設置されるべきで、それが軍事力を持つ機関ならば当たり前である。法の下に設置して法と文民によって統制されるからこそ、国民も安心して軍事力をその機関に預けることができるからである。令外官に生殺与奪の力を与えることの恐ろしさは藤原摂関政治の例をみても明らかである。柔軟かつ即応的な対応を行うために必要な役職であれば、そのようにあらかじめ法の下に規定しておけば良いだけである。


     以上のような理由で、個人的な意見と断りながら、私は自衛隊という令外官こそ、憲法の中に明確に規定するべきだと思う。その上で、しっかりと文民統制を堅持しつつ、国内災害や侵略などの有事に対応させるべく、彼らにその力を預けるべきだと考えている。もちろん、令外官への愛着は平安時代以来のものだろうと思うのだが、そろそろこういう論議がなされてもいい頃合いではないかと思うのである。


      にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    ローマ皇帝と徳川将軍家は似ている

    • 2012.10.31 Wednesday
    • 13:00
     日本の歴史上、最も「幸福な時代」はいつだったのかといえば、個人的には江戸時代だったのではないかと感じている。私達は、「江戸時代は暗黒時代」というように教わってきたけれども、実際のところ、それがそうでもないことが最近は詳らかになってきていて、自分の思い込みが覆るようで興味深い。これは私の主観だけではなくて、「逝きし世の面影」という著書にも詳細に語られているのでご興味のある方はぜひお読みいただきたい。幕末から明治にかけて日本を訪れたたくさんの外国人の目線が捉えた日本と日本人の様子が赤裸々に描かれている名著である。


     目を転じてはるか昔、ローマ帝国をみても、トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピヌスといった皇帝が統治していた時代は、五賢帝時代といわれるくらいローマの歴史上、最も「幸福の時代」だったといわれている。結局のところ、国が大きくなれば、市民の耳目から政治や経済に関する正確な情報が遠ざけられてしまい、正しい判断が下せなくなることを考えれば、江戸時代の将軍や帝政ローマの皇帝にように、ひとりの為政者の手に政治を委ねるというやり方が一番公正かつ効率的な政治手法になるのかもしれない。


     民主主義はもちろん素晴らしい政治手法だけれども、その「素晴らしさ」の前提は自分たちの代表を選ぶ側の市民や国民が、その時々で正しい判断を下せるための正しい情報を持っている場合に限られるだろう。つまり、正しい情報を持っていなければ、正しい判断などはできるわけもないので、結果として群集心理やミスリードによって、特定の何者かを利するような誤った選択をさせられてしまう政治形態でもある。それは、現代日本だけに限らず、民主政治の本家であった古代ギリシャの衆愚政治をみても明らかである。


     そういう目で観察すると、国民や市民が幸福な時代は、統治能力に優れた皇帝なり将軍が、公正に政治を行っていた時なのではないかと思えて仕方がない。もちろん、その皇帝なり将軍が暗愚だったり残虐だったりした場合には、相応のリスクは発生するけれども、その場合はローマならば皇帝の暗殺、江戸幕府なら押し込めなどでリスクを回避する道もまたあるのである。


     ローマの皇帝が基本的には元老院を選出母体としてきたように、日本の将軍も時代が下がるに連れて御三家や御三卿を選出母体としてきたし、ローマ皇帝が持っていた皇帝属州は、天領や親藩大名、譜代大名と対比できる。元老院の管理下にあった元老院属州は、本国ローマがゆるやかに手綱を握って属州に地方自治を任せていたのだが、こちらも同様に、江戸幕府が外様大名に大幅な地方自治を任せていたことを考えれば、ローマの政治と相通じるものがある。さらに、皇帝といえば「インペラトール」という称号も持っていたのだけれども、この意味するところは軍最高司令官であるので、この意味でも将軍と見事な対比を見せるのである。


     
     五賢帝のうちの一人、トライアヌス(トヤラヌス)<在位AD98〜AD117>


     
     八代将軍徳川吉宗<在位AD1716〜AD1745>


     国民や市民の幸福度を最大限に拡大せしめるという視点でみれば、今の群盲象を撫でるような政治よりも、よほど国民や市民の幸福に寄与するのではないか……とさえ思ってしまう。ただそれも、ユリウス・カエサルやアウグストゥス、または徳川家康公のような卓越した人物の出現による命を懸けた果断の結果という形でしか期待できないけれども。さて、日本は今後、どのような国になっていくのか。残念ながら、正邪の区別のつかない情報の洪水の中では、正しい判断は難しいとしか言いようがないのが、この国の悲劇である。

    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    これが相馬武士の魂だ

    • 2012.10.10 Wednesday
    • 10:16
     相馬といえば、相馬野馬追いが有名である。勇壮な野馬追いを観ていると相馬武士の魂の一端を垣間みるようで惚れ惚れする。昨年の福島第一原発事故で大きなダメージを受けた相馬も、今では野馬追いが復活するほどにはなっているようである。もちろん、目に見えない線量が政府の言うとおりであるかどうかは不明といったところだが、相馬武士の最後の戦いの様子が福岡市史に書かれていたので、超意訳で要点だけかいつまんでご紹介する。


     これは、福岡藩の関屋九郎兵衛と岡田三之介の二人が奥州駒ケ峰にあった前線基地から福岡に帰県した時に福岡藩に報告したものである。


     八月一日、福岡藩の一隊が新山に到着。ただし、昨日の苦戦により兵数は残り少なかったので、本日着隊した補充兵を中心として浜手側からの先陣として進軍した。昨日の苦戦に参加した兵は本道から進軍、昨日戦死した兵の遺体などの処置をして、浪江の宿まで展開した。


     本日の作戦計画は、本道の先陣として芸州藩、因州藩が攻めこみ、山手からは長州藩、伊州藩が攻めこんだ。長州藩は山手側から賊である相馬藩基地の背後へと迂回し、背面から攻撃した。この攻撃によって、賊(相馬藩)は戦闘不能に陥り退却。浜手に向かっていた一軍は、相馬藩軍の敗走の後に浪江の駅に到着。よって、一日は敵と交戦することもなく、各藩それぞれ宿に入って陣を張った。


     八月二日、休戦。各藩そのまま浪江の駅にて前進待機。昨日、浜手で相馬藩兵の脇本喜兵衛という者を捕虜とした。本日、捕虜尋問した上で浪江宿の外で斬首。本日夕方から番兵として諸浜というところへ進軍し、同所にて警戒待機。


     八月三日、休戦。諸浜にて待機中。


     八月四日、本日も休戦。


     八月五日、各藩小高(現、南相馬市)まで進軍。本日、相馬藩降伏の準備が調う。


     八月六日、各藩鹿島へ進軍し、同所にて待機。


     八月七日、追討総督四条隆謌(しじょうたかうた)殿らを先頭に中村の進駐のため小高を進発。一番長州藩、二番因州藩、三番福岡藩、四番芸州藩、五番伊州藩、六番久留米藩、これらの藩が降伏開城となった相馬の中村城を受け取り、追討総督が入城した。本日早朝から相馬藩は仙台藩と交戦に入った。仙賊(賊軍である仙台藩)が相馬藩内に本日まで部隊を展開していたため、相馬藩兵も本日は奮戦して仙台藩兵を四キロほど後退させた。しかし、仙台藩兵は二隊に別れ、うち一隊が相馬藩兵の背後を攻めあげたため、相馬藩兵も二キロほど後退することとなった。この戦況報告を聞いた官軍は相馬藩を救援したため、相馬藩兵は仙台藩兵を仙台藩境まで押し込むことに成功した。



     もちろん、これ以降も記述は続くけれども、あまりに果てしがないのでこの辺りで。しかし、江戸幕府が健在な頃は、きっと江戸市中の一杯飲み屋でひょっとしたら仲良く盃をともにしたかも知れない各藩士たちも、マセソンスピリットにコロリといかれた「内戦したい派」の長州の勢いに負けて、こうした同士討ちをやるのだから、人間とは本当に恐ろしい生き物であることも事実である。


     相馬武士の心意気をみせた磐城の戦いから144年。これからも相馬魂の一層の奮起を期待している。最後に私の先祖もひょっとしたら官軍の一兵卒として相馬攻めに参加したかも知れないが、藩の威信をかけて死力を尽くした相馬藩士と福岡藩士、ついでにその他もろもろの無数の兵士の誉れを讃えておきたい。


      にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    ひたひた迫る薩長軍の様子が手に取るようにわかる本

    • 2012.10.09 Tuesday
    • 14:34
     愛と試練の星「土星」が天秤座から蠍座に去っていった。周りにいる天秤座仲間と「あと間もなくだな」と励まし合いながらもようやくこの日を迎えることができた。感無量である。


     先日、福岡市史近現代(1)という分厚い本を買った。福岡にあるジュンク堂に二冊だけ平積みしてあるのを見つけ、財布からは猛反対されたにも関わらず、「ちいっ!」と買ったものである。ざっと九百二十頁はあるハードカバーのそれはそれは重い本である。内容はといえば、まさに福岡市の近現代といったところで、江戸末期から明治の初め頃にかけてのさまざまな文書が「活字」で収められていて、とても面白い。


     春頃、ある方から「その辺りなら、○○という本が面白いですよ」と教えていただき、それならばと図書館の古文書編纂室へと出向き、十数頁分コピーしてきたのだけれども、これがお家流の崩し字。古文書辞典なども買って、くびったけになって解読を試みるも、全体の3割くらいしか解読不能。「これ、崩し字なんですけど?」とその方に泣き言をいうと、「そうですよ、当たり前じゃないですか(爆)」とダメ出しを受け、ひとり落ち込んでいたところ、「そんなあなたに朗報です。実は、あれは活字で出ます」と聞かされ、ようやくこの一冊を手に入れることができたというわけである。


     その内容的には、福岡藩絡みの古文書でありつつも、生麦事件とか長州藩が異国船に砲撃した内容だとか、薩英戦争のあらましだとか、他藩であった出来事もニュースとしてまとめられておりとてもおもしろい。もちろん、福岡藩の痛恨の一撃である乙丑の獄についても詳細に書かれている。幕末の全国の空気感が、明治元(1868)年になるとガラリと変わり、「徳川慶喜反逆追討」という言葉が並び出す辺りは生々しい。


     その明治元年頃の関東の情勢を京都詰の福岡藩士が書面で報告している様子があるので、少しかいつまんでご紹介しよう。


     ○ 上州(群馬県あたり)足利あたりから官軍(薩摩、濃州、大垣の軍勢)と徳川浪人二万五百人と戦闘状態になったが、徳川浪士隊は大敗。これによって、官軍は上州の例幣使道から下総古川の城に入って、江戸攻撃の様子。栗橋の渡船場にて前進待機。


     ○ 会津軍付属の壬生浪士五百人が甲州街道勝沼の駅にて官軍土州(土佐藩)と戦闘に及んだが、会津軍が潰走した。


     ○ 水戸天狗組と柳組との同士討ちの戦闘が近々始まるのではないかということだが、まったく奸の争いであると聞いた。

     ○ 官軍の先遣隊が川崎まで制圧したが、四、五日間は川崎宿で駐留待機。


     ○ 中仙道は板橋宿まで官軍が制圧したが、ここも同所にて四、五日間駐留待機。


     ○ 甲州街道武州府中辺りまで官軍が制圧している様子であるとのことで、浅草、四ツ谷、芝、本郷あたりも大きな騒ぎになっている。日本橋、京橋あたりも同様である。三月十三日京橋辺りで小規模な戦闘が始まり、十四日には江戸市内で出火し、おおむね四分ほど焼失した。


     などなど、当時の生々しい内戦の状況が伝わってくる。ひたひたと詰め寄る薩長官軍と、それを受けて立つ旧幕府軍。これをお読みのみなさんが住んでいるその街で、少し前に起こった出来事である。映画や時代小説にはない緊迫した「空気」がそこに今もある。


      にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    話し合いの一線を超えた場合の対処法

    • 2012.08.26 Sunday
    • 13:06
     戦争をせずに事態を解決するためにはどうすればいいか……。ここら辺の微妙な舵取りがとても難しい。しかし、現在、地球に生きている人類が抱えている諸問題や諸課題は、これまでの人類が経験してきたことでもあり、歴史をひも解いてその中から法則や戦略を見つけて、しっかり対処していくより他に方法はない。


     これまで日本では「話し合いで解決するのがベスト」であるとして、相手の意向はどうあれ、とにかく話し合い至上主義を貫いてきたわけだけれども、その結果が、ここまでこじれた領土問題であって、すべて話し合いで片が付くと考えているのは、世界広しといえども、言霊信者の日本人くらいであるかも知れない。さあて、どうしたものか……。これはいじめの構造と少し似ているのかもというのが、個人的な考えである。


     今は大柄で目つきも悪い私も、中学生の頃は華奢で優しい好青年だった。短歌を詠み平安の御代に憧れる麻呂のような男だったのである。花を愛でて、月夜を愛す文学少年だった私は、中学生の頃、父の転勤に伴って引越をしたことがある。そんな麻呂は転校先の中学校でいじめの危機に直面したことがある。ひとつは方言が違うということ。そして、もうひとつは、見るからに弱そうな「麻呂」だったことが原因だったようだ。


     最初は些細なことがきっかけだった。授業中に学生服の背中にチョークで落書きをされたのだ。そんなことをする奴などいないと信じるまだ幼い麻呂にとって、この出来事はとてもショックな出来事だった。気の弱かった麻呂は来る日も来る日も落書きに耐えた。いや、耐えたというよりも、喧嘩になることがおっかなくて何も言えなかったのだ。


     背中が色とりどりのチョークで汚れている麻呂の制服をみて、先生がいじめっ子を呼んで話し合いをさせたこともある。「もうしませーん」といういじめっ子たちの言葉で話しあいは終わり、翌日からさらに執拗ないたずらが始まった。先生なんかに相談するもんかっ……というのがこの時に得た教訓だった。


     そんな時、ラジオから流れてきたこの歌をエアチェックしてずっと聴いていた。隣の部屋で寝ている父に気づかれないように枕に顔を押し当てて泣いたことを覚えている。今でもこの歌を聴くと涙が出てくるほどである。私を泣かす時には、この歌を流せば一発である。


     


     ある日、いじめっ子たちが、「むっちんするぞ」と騒ぎつつ、いたいけな麻呂のところにやってきた。数人のいじめっ子が麻呂のベルトに手をかけてズボンを脱がそうとする。教室には他の生徒や女生徒もいたが、遠巻きにしてじっと見ているだけった。


     このままいけば、まだ毛も生えそろっていない幼稚なあそこを衆目に晒すことなる。それは避けたい……。今なら「どうだ、この短小野郎どもぉっ! 百年はやいわっ! ぐははははっ!」と自慢するところだが、当時の麻呂としてはそんな度胸もなく、ただ「話し合いをしなければ、話し合いをしなければ!」と焦るばかりだった。


     しかし、膝まで下ろされた自分のズボンを目にした時、麻呂の心の奥に、ボッと何かが灯った。


    「やめんかー、ごるらあっ!」


     反射的に一人のいじめっ子に体落としをかけた麻呂が一本を先制。そのまま当時流行っていたプロレスで覚えた腕十字を思い切り極めて相手の戦意を奪った。相手もびっくりしただろうが、麻呂もびっくりした。麻呂の中にスーパーサイヤ人が誕生した瞬間だった。


     いじめっ子は、痛む肘を押さえて黙って教室を出ていった。彼らが一人二人と出て行く中で、麻呂の中にはなんともいえない達成感が生まれた。自分の力で敵を撃退できたという達成感のようなもの。それからしばらくは、彼らの報復に注意を払う毎日が続いたが、彼らは麻呂を無視するようになった。もちろん、無視されていた方がいいので、麻呂の中学生活はとても愉しいものに変わっていった。それからも月を愛し、花を愛でつつも、拳立て伏せや電話帳への正拳突きなどで体を鍛えることは忘れなかった。


     喧嘩を売ったり、いたずらの度が過ぎると、痛い目をみるぞ……というメッセージをいじめっ子に与えることで、それ以後の麻呂の生活は平和になったというわけである。なにもせずに、やられっぱなしだと、ズボンを脱がされてしまうのだ。


     話し合いの一線を超えたら、ピシャリと「黙らっしゃいっ!」と一喝することが大切である。現代では物理的な戦争などしなくても、経済的にしっかり締め上げてやれば、日韓双方の利害が一致する人々によって「もう止めよう」という声が起きるものである。この先、日本がズボンを脱がされてしまえば、「じゃあ、俺も」ということになり、中国はもちろん、北朝鮮、ロシアなども食指を伸ばしてくる可能性もある。ここが正念場なのだ。


     腕十字を極めつつも、片手では握手する手を引っ込めない……。これが現実的な国際外交というものだろう。


      にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    雷に打たれるしか手はにゃあも

    • 2012.08.21 Tuesday
    • 18:58
     雷が自分目掛けて落ちてくるということは、まず自分の身には起こらない……誰しもそう考えているはずである。私だってそうだ。先日もゴロゴロと雷鳴が轟きはじめたが、まさか自分目掛けて雷が落ちてくるなどとは考えなかったし、実際に落ちてきたことはない。ところが、稀に雷が人間に落ちることがあり、命を失うことがある。先日も大阪で若い女性二人が EXILE の野外コンサートの開始直前に雷に打たれて亡くなったという。


     戦国時代中期の武将に立花道雪という猛将がいた。彼は鬼とも雷神とも称されるほどの猛者だったという。若い頃、落ちてきた雷の中にいた雷神を刀で叩き切ったという逸話から、立花道雪の刀は雷切(らいきり)と呼ばれたという。この逸話が嘘か本当か歴史的事実は分からないけれども、彼の性格を物語っているようでおもしろい。彼の養子が、あの名将立花宗茂公であり、この頃の日本人は本当に人材豊富である。


     時代が人を育てるのか、人が時代を作るのか。混迷の時代に人が輩出されなければその国は滅亡である。かつてローマという空前絶後の国家を築いたローマ人たちも、その末路では人材不足にあえいでいた。自国の防衛はローマ市民が行うと傭兵に国を守らせることを拒否していたローマでも、次第に傭兵を使って国を守らせるようになる。「剣と盾を持って迫り来る外敵から国を守るのはローマ市民の義務であり誇りである」と考えるローマ人がたくさん残っていたならば、西ローマ帝国も、東ローマ帝国も、そう簡単に滅亡せずに済んだかもしれない。


     返す返すも、人材の輩出と発掘が、この日本という国には急務なのである。一人でもいいから……ではない。少なくとも数万人、できれば数百万人の規模で人材が必要なのである。かの大西郷、西郷隆盛氏が幕臣山岡鉄舟を指してこんな言葉を遺している。


     命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。然れどもかくの如き人は、凡俗の眼には見るべからず。


     これからの日本、この山岡鉄舟のような人物が最低数万人単位で必要なのである。さて、そのために今できることは何か……我々凡人がそこから考えなければならないのが、現代日本の喜劇である。


      にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
    このエントリーをはてなブックマークに追加

    PR

    calendar

    S M T W T F S
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    30      
    << April 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • なぜ、スマホを操作する姿は美しくないのか?
      novski (09/20)
    • 発掘! 梶原皇刀軒さんと中村泰三郎さんによる抜刀の妙技!
      尉川太尊 (11/02)
    • 発掘! 梶原皇刀軒さんと中村泰三郎さんによる抜刀の妙技!
      seno (10/31)
    • 江戸幕府の方が日本政府よりも格段に優れていたような気がしてきたんですが……
      ikawa (07/24)
    • 江戸幕府の方が日本政府よりも格段に優れていたような気がしてきたんですが……
      koizumi (07/14)
    • ぼのぼのを理解する脳を手に入れること
      尉川 (02/29)
    • ぼのぼのを理解する脳を手に入れること
      なめ (02/28)
    • ノルカソルカの月形町、福岡と北海道を繋ぐ月
      尉川 (02/17)
    • ノルカソルカの月形町、福岡と北海道を繋ぐ月
      haichaolu (02/16)
    • ブラタモリ風:福岡城赤坂門を探せ
      尉川 (02/15)

    recent trackback

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM