奇跡の泉、不老水、命の泉、若返りの泉

  • 2012.05.16 Wednesday
  • 11:25
 人間が生きていく上で大切なものが水である。人間の体の8割近くが水分であることを考えるとやはり水なしには人は生きられない。昔の人はそうした科学的知識を知っていたはずはないだろうが、それでも喉が乾けば死んでしまうことくらいは経験的に知っていただろうから、水には特別な感情を持っていたとしても不思議ではない。


 世界には不老不死の泉や若返りの泉というものがある。その中でも有名な泉がルルドの泉である。かつてガリアと呼ばれたフランス南部の小さな町ルルドの少女ベルナデッタ・スビルーが聖母マリアのエンティティを目撃し、その聖母マリアから指示された場所を軽く掘ってみると泉が湧き出したという。その泉には病気を治す力があるとのことで、カトリック教会も一部治癒を認めたというものである。この泉を訪れたことがないし、この泉の水を飲んだこともないので事の真偽は保留にするけれども、こうした泉は世界中にきっといくつもあるに違いない。


 日本にもいくつか霊水のようなものがあるだろうが、私が飲んだことがある霊水は福岡市東区の香椎にある井戸水である。この井戸水はゆうに三百歳を超えて長生きしたといわれる武内宿禰(たけのうちのすくね)が、神功皇后と一緒に筑紫に来た時、この香椎に居を構え、その時に使用していた井戸がそのまま遺されたものだと伝えられている。呑むと年を取らないということから不老水ともいわれていて、知る人ぞ知る霊水としてご近所の方々に大事にされている。


 香椎宮という大変に由緒ある勅祭社から少し離れた民家の中にひっそりとその井戸はあり、長い年月を経た今でも水はこんこんと湧き出ている。呑んでみた感想としては、口当たりの良いまろやかな味わいで、井戸水そのままの味である。不老の効果についてはまだ分からないが、これはこの先の長生きで証明されるだろう。不死ではなくて不老なので身体の老化を少しでも遅らせる力があるのかも知れない。


 これ以外にも命の泉や若返りの泉など、水を神聖視したり神格化したりする例は世界中にもたくさんあるようで、有名なものだけでなく無名なものまで加えると相当な数に上るだろう。人間が生きていく上で必要不可欠な水だからこそ、そこに神聖さを求めたのかも知れない。ちなみに密教などで阿闍梨から灌頂をいただくことがあるけれども、あれも頭頂部のサハスララチャクラあたりに水を灌(そそ)ぐ儀式として知られている。水もまた人間の精神性と深く結びついているのだろう。


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水五訓

  • 2012.05.15 Tuesday
  • 20:56
 中学生の頃だったか父の書斎に水五訓といわれる額が飾ってあった。そこには達筆な筆はこびでこのようなものが書かれていた。


 一、自ら活動して他を動かしむるは水なり

 一、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり

 一、常に己の進路を求めて止まざるは水なり

 一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

 一、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰と化し
   疑っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を失わざるは水なり


 巷間、初代福岡藩主黒田長政公の父である黒田官兵衛の教えともいわれるが、一説には「蒸気」という言葉が江戸後期の言葉だったとする説、また水が蒸発して雲となるという科学的知識が戦国末期から江戸初期にかけて知られていたかどうか疑わしいという説などもあり、黒田官兵衛の作であることを疑問視する声もある。もっとも、黒田官兵衛の作であるかどうかは素人では判じようもないので誰の作であるかどうかは棚上げするが、水五訓といわれるこの言葉は深くもないが浅くもなく、当たり前のことを当たり前に教えてくれているようでもある。


 この水五訓に書かれた「水」を他の言葉に置き換えても意味が通じるところもおもしろい。たとえば、「自ら活動して他を動かしむるは人なり」と「水」を「人」に置き換えても意味が通じるし、「常に己の進路を求めて止まざるは火なり」と「水」を「火」に置き換えてもなかなか含蓄のある言葉に変化する。もちろん、「水」を「風」に変えても意味は通じる。なんということのない言葉ではあるし、「だから何?」と突っ込みたくもなる言葉だけれども、それはそれで嫌いでもない。この水五訓を読んで感じるちょっとした違和感まで含めて味わってみるのも悪くない。


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そして金は水を生み出していく

  • 2012.05.14 Monday
  • 11:39
 風水には、「気乗風則散界水則止 古人聚之使不散」という言葉がある。「気は風に乗って拡散して水によって止まるので、昔の人はこの気を集めて拡散しないようにした」という意味だ。大地をうねうねと這い進んできた気は風の集まるところにいくと拡散してなくなるが、水の集まるところでは留まるとされている。そこで昔から川のあるところに都市は築かれてきたし、家の周囲にも川があるかないかはとても重要なことだとされてきたわけである。


 もともと水は人間にとって必要不可欠なものだし、植物や動物にとっても必要不可欠なものなので、都市の近くに川が流れていることは人や動物が生きていく上で必要絶対条件な側面もある。昔から川の流れていない地域に大都市ができ上がった例は少ない。


 そんな大都市をも造り上げることができる水の力を自宅でも応用しようというのが陽宅風水である。自宅の中に満々と水を張った水槽を設置して自宅に入ってきた良い気をその水槽の中に集めておくわけだ。もちろん、自宅にも玄関の向きなどによって乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤という相があるので、一概に西が金運がいいとか、西に黄色がいいとか、そういうものでもない。そんな簡単なものなら風水師は廃業である。この八つのパターンによって水槽を置く位置が決まってくるので、それは専門家に尋ねてみるしか手はない。しかし、その手間をかけても水に集められた気を有効活用しない手はない。


 その水は太陽に温められて湖や海の水が蒸発して空へと昇り、それが冷やされて雨粒となりまた大地に落ちてくる循環のシンボルである。太古の支那人は水は金属から生まれてくると考えていたのだが、それはたとえば金属を底冷えする冬に一晩置いておくと翌朝にはその金属に水滴がついていることがあるが、あの現象を思い出してみると分かりやすい。実体は空気中の水蒸気が金物に付着したのだけれども、古代支那人は「金は水を生む」と考えたわけである。こうして、木が火を生み、火が土を生み、土が金を生み、金が水を生むという大きな五行の循環ができあがる。


 今週のアンソロジーはこの「水」についていろいろな角度から書き散らしてみよう。


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桃太郎に埋め込まれたメタファーコード

  • 2012.05.13 Sunday
  • 16:24
 日本の昔話で誰でも宙で語ることができるものといえば桃太郎だろう。金太郎もキャラクターとしては有名だが、金太郎の話を宙で語ってみろといわれても細かいところの記憶があいまいで難しい。しかし、桃太郎なら軽くクリアである。日本人なら誰でも宙で物語れるという事実は驚くべきことである。


 さて、桃太郎の名前についている「桃」は五行でいうと「金」、そしてその桃が流れてきた「川」は当然に「水」である。つまり、お婆さんが川へ洗濯にいき上流から桃が流れてきた描写は、「金」から「水」が生まれることを暗喩しているといわれている。


 お婆さんがその桃を家に持ち帰りお爺さんと一緒に断ち割ったところ、桃の中から元気な男の子が生まれる。長男は東を意味するので東に生まれた男子というわけである。皇太子殿下のお住まいを東宮というのもこの五行の影響で、東は易経では発展や前進を意味する「震」という意味もあり、この桃太郎は東方で元気にすくすくと育つようになる。


 やがて桃太郎は西方の鬼がなにやら悪いことをしているという風聞を耳にする。そこでお爺さんとお婆さんに暇を告げて鬼退治に出る。道行き猿、鶏、犬が家来にしてくれと従う。きびだんごで彼らを買収した桃太郎は一路西方の鬼ケ島を目指す。猿は「申」、鶏は「酉」、犬は「戌」であり、「申」は果実が熟して成熟していく状態、「酉」は果実がパーフェクトに熟しきった状態、「戌」は果実が落ちて草木が枯れる状態を表している。


 鬼ケ島に上陸した桃太郎軍団は陣を敷き、鶏を斥候として島内の敵情を探らせる。鶏が急いで敵情を視察して桃太郎に復命するには「敵勢力は赤鬼、青鬼が多数」という。そこで蛮勇を振るった桃太郎は鬼達の虚を突き敵軍を翻弄する。敵の虚を突くのは兵法の常道である。


 赤鬼ドンは、芽が種子の中に閉じこめられている状態を暗喩し、青鬼ドンは、春が来て草木が芽吹く状態を暗喩している。つまり、冬の閉塞状況を打開すればやがて必ず春が来て新しい時代が来ることを表しているわけである。こうして西方という没落の方位の鬼は桃太郎により平らげられ、桃太郎は嫁と財宝を鬼から奪い取って意気揚々と凱旋するのである。


 つまり、この桃太郎は「水」が「金」を生みだす「水生金」のお話である。そして、明けない夜はない、閉塞した社会は必ず打ち破られるということもメタファーとして埋め込まれているのである。もちろん、これ以外のメタファーが埋め込まれている可能性もあるけれども、それはまた別の機会にご紹介しよう。


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マネーはローマの女神から生まれた

  • 2012.05.12 Saturday
  • 15:47
 漢字にはそれぞれ語源があるようで、「金」という文字にもちゃんと語源があるようだ。東京堂出版の「漢字の成立ち辞典」によれば、金の文字は土の中に砂金が点々と閉じこめられている様子を表した図形が源だと書かれている。ここから「金」には、中に閉じこめるというイメージも込められているようで、「錦」という漢字には、金色の糸で折り込んだ絹織物という意味があったり、「欽」という漢字には、感情を閉じこめてかしこまることから「つつしむ」という意味が生まれたりしているようだ。


 古代支那人は金を土中に埋まって隠れているものというイメージを持っていたことが分かる。もっとも、これはゴールドだけを指しているのではなく土中にある鉱物一切を「金」と呼んでいたようだ。この名残は現代でも金属を「カネ」とか「カナモノ」と呼ぶことで推し量ることができるだろう。


 日本ではこの「金」に「マネー」の意味をもたせたが、英語ではゴールドはゴールド、マネーはマネーである。さて、その「マネー」という言葉の由来はというと、これもローマに端を発するようだ。ローマの貨幣造幣所にはローマ市民が結婚する時に見届けをする女神である Juno Moneta が祀られていたそうである。正確にいうと、この Juno monetaという女神の神殿の中、あるいはそのすぐ近くに造幣所があったそうで、きっとローマ市民も段々とコインのことを意味するのに「ああ、モネタがねえ」とか「もっとモネタが欲しいもんだぜ」などと使っていたのだろう。次第にこのモネタが「貨幣」や「お金」を意味するようになってくる。


「父ちゃん、もう小麦櫃がからっぽだよ。今月もらえるって言ってたモネタはどうなってんだい」


「うるせえおっかあだぜ。モネタは天下の回りモノって言うじゃねえか」


「何言ってんだよ。ルシウスなんてひもじいひもじいって腹をすかせているじゃないか」


「うるせえや。ちょっとテルマエでひとっぷろ浴びてくらあ」


「待ちな、アンタ! そのモネタはどこからひねり出すんだい!」


 技術は進歩しても人の世はそんなに変わらないハズなので、きっとこのような人間模様が繰り広げられていたに違いない。こうしてモネタはかつてのローマ帝国内で「お金」を意味するようになっていく。イングランドでは「money」となり、ガリアでは「Monnaie」となり、ヒスパニアでは「Monedas」となって現代にまでモネタが受け継がれてきたのである。もし、ローマ造幣所がモネタではなくてキュベレイという神の神殿の中にあれば、「マネー」ではなくて、「キュベレ」という言葉が「お金」の意味になっていただろう。やはり、世界史においてローマという国の存在は現代に至るまでとても大きな影響力を持っているのである。


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コインが織りなす歴史模様

  • 2012.05.11 Friday
  • 11:35
 昨日は「硬貨」について書いたけれども、こういう「硬貨」という貨幣システムが発達する以前はいったいどのようにして経済は回っていたのかというと、ほぼ物々交換と思っていいだろう。日本では大和朝廷が「自前で硬貨を作るの大変だから輸入でいいや」と自前の硬貨を作ることを止めてしまったのだが、それでも輸入銭で少しずつ貨幣経済が浸透していくことになる。


 地政学的には日本はシーパワーなのだろうが、鎌倉時代などは大型船で外洋に打って出るようなこともなく自国内完結の国家としてアジアに存在していた。実際、鎌倉時代から江戸時代を通じて社会は基本的には「土地」を中心に回っていたわけである。御家人は鎌倉殿から土地をもらう代わりに一生懸命に鎌倉殿に尽くして軍務や経済的負担を担っていたし、江戸時代の将軍と大名の関係も知行地を与えるという意味で土地が江戸幕府のシステムの根っこにあったわけだ。


 ところが、戦乱の世が治まり社会が安定すると経済活動が活発化してくることになるわけで、そうなると土地だけを持っていても飯が食えないことになる。土地そのものは食べることはできず、土地から産出される米を人間は食べるからだ。家族や一族が食べられる分の米はとっておき、残りの余剰米を物々交換すれば、着物を買ったり、刀を拵えたり、鍋や釜を購入したりできるわけである。


 さらに世の中の経済が進むと、輸入銭を使った貨幣経済が発達したり、為替を用いた決済が行われるようになる。室町時代になり貨幣経済にも対応できるような幕府が出来上がったが、応仁の乱から戦国への幕開けとして日野富子の「拝金主義」に代表されるような「天下は破れば破れよ、我が身さえ富貴ならば」という考え方の蔓延とともに、世の中は乱れに乱れていく。紆余曲折を経て天下を治めた徳川家は、「土地」と「米」の二軸を中心とした政治システムである幕府を打ち立てる。


 貨幣経済への流れは抗いようがないので江戸幕府も武士への俸禄を現金払いにすればよかったのにと思うのだが、彼らは基本的には米で報酬を支給する方法を選択した。基本的にはというのは一部役料として現金支給もあったからだが、煩雑を避けるためそれは割愛する。


 さて、江戸時代くらいになれば単なる物々交換では不便なことこの上ない。また、幕府自体が政府発行通貨である小判などを市場に供給しているので、当然ながら江戸時代は貨幣経済まっしぐらの時期である。そうなれば、やはり米では物が買いづらい。余った米を硬貨に変える手間が必要になる。


 そこで「札差(ふださし)」が現れるのである。この札差によって「余剰米」が「金」に変えられていく。名前くらいは聞いたことがあるだろうけれども、「札差」が何かを学校で習ったことはないだろうと思う。札差は、江戸幕府から御家人や旗本に対して給付される俸禄米を「金」に変えるための職業である。


 幕府の旗本御家人達は、幕府から年に三度俸禄米(春借米・夏借米・冬切米)を支給される。これが生活の基盤の給料というわけだ。これは米の現物支給なので、旗本御家人達はその俸禄米の時期になると蔵前に出かけていって米を受け取る。受け取った米を大八車などに積んで自分の屋敷へと帰っていく。これが年に三度行われるわけである。


 当然に自分の俸禄米支給に限った話ではないので、他家も蔵前に押し掛ける。そうなると長い行列ができる。一日をぼうっと順番待ちで過ごすのも面倒に感じている旗本御家人をみて、「よかったら順番待ちをお代わりましょうか? 手数料はお安くしておきますけど」と商人が声を掛ける。旗本御家人は「左様か? それでは頼むと致そう」とその商人に順番待ちを有償で依頼する。


 また受け取った米のうちの余剰米を現金に買えなければ生活必需品も購入できない。そこで、余剰米を米問屋まで運んで換金するのだけれども、こちらも行列が出来ている。また旗本御家人は順番待ちをしながらぼうっと過ごす。そこに商人が「よかったらこちらの順番待ちもお代わりましょうか? 先ほどと合わせて手数料もお安くしておきますよ」と声を掛ける。旗本御家人は「なに? その方はここの順番待ちも請負うと申すか。なれども、ここは現金ゆえ素性の分からぬものにお家の大事は預けられぬ」と切り返すが、商人は「手前は商人でございますのでご心配は無用にござりまする。証文も残しておき他日の控えと致しましょう」という。そこで旗本御家人は「ではその方に任す」というと、商人は「よろしければ換金までの間、あちらにご用意しております茶屋にてごゆっくりとおくつろぎ下さい」と茶屋などにいざなう。


 万事うまくいって一安心の旗本御家人が帰ろうとすると、商人が「よろしければこの後の俸禄米の時にも手前どもが蔵前まで参りまして俸禄米を受け取り、そのまま米問屋で換金までさせていただきたいと思いますがいかがでしょう」と声を掛ける。そこで俸禄米の受け取りから換金までを一手に引き受ける札差が生まれたというわけである。



 ところが、江戸時代も時代が進むにつれてさらに貨幣経済が発展してくると、商人が大きな力をつけて米相場を操作するなどの経済活動が活発化してくる。こうした現実が基本的に昇給のない武士の生活にダメージを与えるようになり、御家人も旗本も生活に困窮し、先々の俸禄米(給料)を担保にいれて現金を札差から借用するようになる。これで札差は名実ともに金融業者として巨万の富を得ていくというわけである。そうやって貯めた大金は一日三千両といわれた魚河岸、歌舞伎、吉原で湯水のように費消されていく。



 米などの生産物は長期保存には向かない。一年や二年なら保存できるけれども、十年も二十年も永久保存はできない。そこで、「集めた富のエネルギーを永久に蓄積」する役割が金属で鋳造された貨幣に与えられたのである。硬貨なら腐らないのでどれだけ溜め込んでも安心だからである。もちろん、インフレによる目減りというリスクはあるけれども、米や小麦をそのまま保存するよりははるかにマシだと昔の人は考えたのだろう。人類とお金の関係もまたとても興味深いものである。


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金属を使った硬貨は国力を正確に示す指標なのだ

  • 2012.05.10 Thursday
  • 12:20
 サラリーマンの語源は「塩で支払われる人」という意味だそうだ。ギリシャ全盛の頃、まだまだ揺籃期のまっただ中にいたローマに貨幣を鋳造するだけの富も力も技術もなく、オスティアで採れる「塩(サル)」が貨幣の代わりをしていたという。腐敗して朽ち果てる可能性が低い金属を硬貨にすることで人間社会の経済活動は活発になるが、金属を加工して同品質の硬貨を定期的に市場に供給するためには、やはり相応の富、技術力、信用がないといけない。硬貨は国家の総合的な力を反映したものだといわれるのも、まさにこの点に理由がある。


 ローマが塩で支払っている時代、アテネではテトラドランマといわれるドラクマ銀貨が発行されていた。女神アテナとフクロウをあしらった銀貨は今見てもうっとりするくらい存在感がある。その頃、アテナの周辺都市国家でもそれぞれの都市国家が自国の硬貨を発行していたようだから、当時のギリシャの底力はやはり凄かったのだろう。


 この硬貨はいろいろな製造方法があるようだけれども、一般的には銀や金などを指定された純度で溶かしてまず平板を作り、その平板を熱して柔らかくしたところで、表面刻印器と裏面刻印器の間に挟み込む。その後、裏面刻印器のお尻をハンマーでガツンと叩いて、平板の両面にそれぞれの図柄を打刻する。その後、裏面刻印器を取り外して、打刻されたコインを取り出すという方法が一般的であったようである。


 今ならベルトコンベアなどを使って流れ作業で出来る単純な製造工程だけれども、これをひとつひとつ職人がハンドメイドでやっていたのである。市場経済を支えるほどの流通量がなければ硬貨の意味もないので、やはり硬貨を製造発行するという仕事は国家規模のプロジェクトだったに違いない。


 日本で自前の硬貨を発行したのは大和朝廷。AD708年の和銅元年に発行されたので和同開珎(わどうかいほう・わどうかいちん)とも呼ばれている。材質は和銅だといわれているが、その後しばらくして大和朝廷は通貨の発行そのものをやめてしまうので、日本には自国発行のまともな硬貨が存在しなかったことになる。商行為はもっぱら支那からの輸入硬貨に依存していた。刀などの加工技術では抜群の治金技術を誇った日本だけれども、一定量の硬貨を大量に市場に供給しつづけるだけの国力は大和朝廷にはなかったのかもしれない。


 その後、日本にまともな自国硬貨が誕生するのは徳川幕府が日本全土を掌握してからとなる。古来からこの硬貨は政権を握っている政府の本当の国力を赤裸々に教えてくれる正確な指標といえるのである。この硬貨という存在も、金属や鉱物のひとつのおもしろい側面である。


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剣と鎧の開発競争

  • 2012.05.09 Wednesday
  • 20:44
 剣とくれば鎧である。破壊力のある武器が戦場で使われるようになれば、その武器から身を守るため武器の性能をアウトパフォームする鎧が開発される。最初は動物の皮革などで作られていた鎧も、青銅や鉄、鋼などが使われるようになり、西洋では最終形態のフルプレートアーマーが完成する。十字軍遠征以降、イスラムとの戦いの中でこうした鎧の技術が西洋では進み、中世で全盛期を迎えるが、銃砲などの火器の広がりとともにどうせ貫通するなら身軽な方がいいと鎧はだんだんとその存在意義を失っていったといわれる。


 もちろん、鎧の方も銃火器にやられっぱなしというわけではなかったようで、改良は続けられていたようではある。日本の戦国時代、従来の鎧をより対銃器用にモディファイするために西洋のプレートアーマーを応用して南蛮胴具足が作られたりもしている。ただ、日本の場合は山城があったり、濠や石垣があったりと凹凸のある場所が戦場となることがあったので、西洋のプレートアーマーをそのまま活用することは現実的ではなかったようだ。


 こうしたプレートアーマーを見てみると分かる通り、頭の先から爪の先まで完璧に板金に覆われているので、これでは生半な剣などではなかなか刃が立たない。そこで、アーマーごと上から叩き潰すようなグレートソード、斬るのではなくて振り回してアーマーの外から打撃を加えるモーニングスターなどが開発されることになった。


 金属を使ったこうした武器と防具の開発合戦は銃火器が戦闘の主役になった現代でも続いている。ロシア製の軍用拳銃であったトカレフは、諸事情によりメタルジャケットを施した銃弾を装填して使用されていたため弾丸の貫通力が高く、殺傷能力が高い。そのため、このトカレフの貫通能力を削ぐような装備も開発されたようだ。


 金属は武器にも使えるし、防具にも使える。包丁にだって使えるし、貨幣にも使える。要はそれらを使う人間の胸先三寸というわけである。美しく輝く剣や刀、プレートアーマーなどは見ている分には美しいものだけれども、いつしか金属が戦争の道具から解放される日がやってくると信じたいものである。


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失われたダマスカスソード

  • 2012.05.08 Tuesday
  • 15:41
 西洋の剣はゲームなどの世界で取り上げられているので日本人にも馴染みが深い。単なる鉄ではなくて鉄の純度を高めた鋼(はがね)の技術を人間が手に入れてから、この鋼を素材にして西洋の剣が作られていった。一般的に目にする西洋剣のロングソード、幅広のブレードソード、刀身が波打っているため斬られると傷が治りにくいといわれるフランベルジュ、スコットランド人が愛したクレイモア、中には何に使われたのか分からないような刀身二メートルを超えるようなグレートソードというものもあったようである。鋼ではないが、古代ローマの剣といえばグラディウスが有名。グラディエイター(剣闘士)は、このグラディウスで闘ったからグラディエイターといわれたようだ。


 西洋は鋼止まりだったが、日本は玉鋼(たまはがね)を作り出した。良質な砂鉄をたたら場で溶かしてほんのわずかな量の玉鋼を造りだす。そのため良質な砂鉄の産地が、名刀の産地にもなるというわけである。この玉鋼を造り出す技術もいったい誰が考え出したのだろうと興味が尽きない。玉鋼を何度も鍛えて造り上げた刀の美しさはさすが美術品といわれるものだけのことはある。


 日本の刀は幸いに刀鍛冶によって伝統が保たれているが、すでに技術が失われてしまったものもある。インド発祥といわれるダマスカス鋼を用いたダマスカスソードは現代ではどうやって造られたのかが分からなくなってしまった伝説の刀剣である。鋼なのに刀身に木目調が浮き出たこのダマスカスソードは十字軍遠征に参加した兵士達がそれぞれの国に持ち帰ったことで、広く知られるようになったといわれている。もともとはインド産のウーツ鋼というものをダマスカスで剣に加工したものだそうだが、ウーツという言葉には「堅い」という意味があるようで、ダマスカスソードもきっとすさまじい破壊力を誇ったに違いない。


 このダマスカス鋼を用いて建てられた鉄柱がインドにはあるそうである。デリーの鉄柱といわれるこの柱はAD415年マウリア朝の頃に建てられたそうだが、それから1600年以上に渡って風雪に晒されているにもかかわらず錆落ちていないという。


 実際にネットで検索して写真を見てみるとやや錆びているような感じもあるけれども、それはそれとしても1600年以上に渡って朽ち果てずにいるということが驚きである。この錆びない(錆びにくい)理由を表面にコーティングされたリン酸化合物のせいだとする説もあるが、それも本当のところは分からない。それが本当だとしても、1600年もの長期間、剥がれ落ちないコーティング技術を持っていたこと自体が驚愕ものである。


 まだまだ人類が知らない鉱物や鋼材が日の目を見ずに眠っているかも知れず、大地の懐の深さには心の底から脱帽である。


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身近にある青銅は十円玉

  • 2012.05.07 Monday
  • 13:53
 映画300の題材になったスパルタ人。国民皆兵のサイヤ人だったスパルタ人の出自はドーリア人といわれる民族だったといわれている。青銅器武器の時代に、鉄製の武器を携えてペロポネソス半島に流れてきたドーリア人は、天性の好戦的な性格と当時としては無敵の鉄製武器を用いて、先住民であったアカイア人を征服。その地にスパルタという都市国家を建設した。現代でもスパルタという言葉が残っているほどなので、相当に武張った民族だったに違いない。


 鉄器の前の青銅器は、文字通り青銅を使用して道具が作られていた。通常、私達が目にする青銅は緑青を噴いて浅い緑色に変色したものしかない。しかし、本来の青銅は黄金色や白銀色、あるいは赤銅色の金属である。一番身近な例では、誰のお財布の中にもある十円硬貨があるが、あれがまさに青銅である。ただ手あかがついた十円玉ではなくて新品の十円玉でないともともとの色が分からない。新品がない場合には、サンポールをちょっとかけてあげるとよい。すると美しく赤銅に輝く青銅器十円玉を観ることができる。きっと、青銅器時代のさまざまな食器、武器、祭事器なども太陽に照らされてぴかぴかと輝いていたに違いない。錫の量によって、黄金色、赤銅色、白銀色や強度に差があったようである。


 そんな美しい青銅製の武器も、ヒッタイトで発祥したといわれる鉄製武器の前には抗しがたく、ミケーネ文明の一翼を担ったアカイア人達もドーリア人の軍門に降ったのである。ちなみに、この青銅の歴史は古く、BC2000年ごろのシュメール文明に端を発するという説もあるようである。ここでもまたシュメールかという感じだが、一番最初に銅や錫を溶かして道具を作ったのはいったいどんな人間なんだろうと興味が尽きない。名も知れぬ一人の技術者の技術が、こうして現代の十円玉にも宿っているというわけである。


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